環境編 − 管理人独白

管理人独白

管理人は96年からは某私大で教鞭をとっているが、それまで29年間環境行政に従事、つまり環境役人だった。役人はペンやキーボードは必須のアイテムであるが、モノ書き自体は本務ではなく、書きたいことを書いて発表するいうカルチャーを有してはいない。

公務遂行のうえで、いろんなレポートやメモを書くが、公表することを前提としていないし、公表する場合も自分の個人名で発表することは稀である。とはいっても、もちろん専門誌などに請われて公務について書くこともあるが、それは個人名であっても、なんでも好き放題書けるわけでない。管理人は若い頃、何本かそうした原稿を書いたこともあるが、それはすべて無署名か、上司に代筆させられた。長じてからは、請われて書いたことも再三あるが、そのほとんどは部下に代筆させた。稿料を部下の小遣いにするためである。

あともうひとつは公務の一環として、自分が企画・編集し、ときには執筆もした報告書類を引き受けて出版してくれるところがあれば、市販することもあった。編集料という名目で印税が入ったが、それは貴重なラインのウラガネとなった。現在では批判の対象となるが、自分の懐に入れたわけでないので、罪悪感はまったく感じていない。大気規制課時代の「炭化水素類排出抑制マニュアル」(S58?)「アスベスト排出抑制マニュアル」(S59?)がそうであるが、もはや管理人の手元になく絶版となっている。自然保護局時代の「モデル定住圏における自然公園の活用に関する調査報告書」(S54)や「蝶や蛍が舞い野鳥が囀る都市をめざして(ビートルズプラン)」(S56)もそうであるが、市販には至らなかった。これらはいずれもそれなりに全力を傾注したものであるが、管理人の名前はまったく記されていないし、そのことに不満もない。それが役人のカルチャーだからだ。

要するに、環境役人である限り、環境関連の論文を自発的に書くことは絶えてなかった。

大学という世界はまったく別のカルチャーの世界であるが、長らく役人として染み付いたカルチャーは簡単には変えられない。したがって、依頼がなければ論文を書こうとは思わなかったし、いまも思わない。それでも、いわば巻き込まれるような形でやむなく書いたものもいくつかあるし、なかには結構長いものもある。それが管理人の主著ということになるのかもしれないが、学術論文とはいいがたいものである。

もうひとつ驚いたのは、役人のカルチャーは内容はともかくとして締切を守るということなのだが、アカデミズムの世界ではそうでないことである。共著出版の話が三つ(一つは原稿提出後、編者とトラブって断念)あったが、締切期限ぎりぎりに原稿提出してもう数年になるのに、いまだ原稿が揃わないのか、出版されないままである。

状況が変わったのが、請われていわゆる「環境漫才」を書き出してからである。書きたくなくても、書くことがなくとも毎月書かなければいけなくなった。EICネット上での「Hキョージュの環境行政時評」のほか、マイナーなメデイアにも書いている。アカデミックとは程遠いものであるが、どれもそれなりに愛着のあるものであり、このまま散逸するのは惜しいので、趣味で書いてきたものなどと併せて、掲載可能なものはHPに逐次掲載していくことにした。

現在用いているワープロソフトはワードである。三田へ来るまでのそれは一太郎であったり、古くは互換不能のワープロ専用機だったので、すべてをHP上に載せるのは不可能であるが、変換可能なものはおいおい発表していきたい。

なお、本HPで公開するのは原稿ファイルであり、発表時には図表や写真付のものが多いが、基本的には本文のみである。しかも本文も、いくつもバージョンがあるものがあり、既発表のものはどのバージョンのものかはっきりしない場合があるし、ゲラで手直しした場合もあるので、必ずしも既発表のものと一字一句同じでないことがあるのを、了承されたい。また発表時縦書き、二段組のものがあるが、原稿ファイルはすべて横書き、一段組である。