鉱物編 − その他雑文一覧、解題

オーロラとフィヨルド、そして鉱物の旅

(序の序)

坂東博博士(大阪府立大学)とは、国立環境研究所で一緒だったことがある。その頃はひとかたならぬお世話になった。その博士からなんでもいいから本誌に原稿を書けという下命が降りた。断りきれない恩義があるので、筆下手を覚悟で書くことにした。読むに値せぬ稿であろうと思うが、その責任は挙げて坂東博士にあることをはじめに断っておく(笑)。

(序―青春の回想)

筆者は青春の一時期、森と湖、フィヨルドとオーロラの北欧にひどく惹かれたことがある。映画だとベルイマン、音楽ならシベリウスかグリークだと吹聴して回ったこともある。いつか憂愁の瞳の麗人と北欧の地を旅したいと夢想したものである。人はだれしも若い頃は或る種の感傷に侵される。筆者にとっての感傷は北欧の孤独に満ちた厳しい自然への憧憬として表象したのであろう。 その北欧への憧れのきっかけは今にして思うと非常に単純である。或るひとつの「鉱物」なのである。

筆者は小学生の頃から鉱物少年であった。ハンマーとルーペを持って野山を走り回り、水晶だとか方解石の小さな結晶を集めてはひとり悦に入っていたし、中学生の終わり頃にはいっぱしのマニアになっていた。そんな或る日、京都の北にある河辺という長珪石の山に行き、見慣れぬ鉱物を採集したことがある。ベテランにみてもらってもわからない鉱物は、鉱物界の牧野富太郎のようなアマチュア鉱物界の最高峰、故・桜井欽一博士に送って同定してもらうのが常だったので、さっそく同定を依頼した。博士はこれをみてたちまちピンときたものがあったらしく、これを長島弘三(故人)、加藤昭という当時の鉱物・化学界の気鋭の学者に分析を依頼。数ヶ月後、近来にない大発見であるという最大限のお褒めの言葉をいただいた。 その鉱物の名は[(Sc,Y)2Si2O7]という組成をもつトルトベイト石Thortveititeである。1911年にノルウエーのIvelandで発見された鉱物で、スカンジナビア半島にちなんで、スカンジウムScと名付けられた希元素の研究はこの鉱物に負うところが多い。現在に至るもScを主成分とするほとんど唯一の鉱物として知られており、ソロ珪酸塩鉱物の典型として結晶化学の教科書にはいつも記述されるなど、そういう意味では記念碑的な有名な鉱物であるにもかかわらず、原産地以外からの発見の報告は1920年にマダガスカルで見出されたのみの、とびっきりの有名稀産鉱物だそうで、その第三番目の発見は新鉱物発見以上に価値があるというので、1962年、日本化学会第15年会講演で発表された。 それを知って、こちらも有頂天。下手な鉄砲を数打っているうち、とびっきりの大物にでくわしたのである。それから以降絶えてそういうことはないので、これが多分筆者の生涯での唯一の科学界に対する貢献となろう。それ以来、いつかこの本場のトルトベイト石を見たく、スカンジナビア半島に強い興味を抱き、調べているうちに北欧それ自体に憧れを抱くようになっていたのである。

さて、このまま鉱物趣味がつづいて大成していれば、今頃はアマチュア鉱物界の押しも押されぬ大御所になっていたはずであるが、高校も終わりになると色気付いてきて、趣味は鉱物採集ですなどというのが、いまでいうオタクのようで、すごく恥ずかしくなり、徐々に遠去かるようになったが、片恋の蹉跌も手伝ってか、孤独な北欧の自然への憧れの方だけは強くなる一方であった。 だが、就職して世間の荒波に揉まれているうちに、そんな憧れもいつしか影をひそめてしまった… それから幾星霜、細々と鉱物趣味を再開し、今日に至っているが、北欧への憧れは長らく蘇ることはなかった。

(青春への回帰)

さて、今年に入ってワイフからいちどくらいどこか外国旅行に連れて行けとねだられた。そういえば連れ添って29年、いちどくらいは長年の感謝の意を込めて女房孝行すべきであろう。愛猫の世話をだれがするのか、という難問があったのだが、東京にいる愚息に留守番に来させることで一件落着、初の夫婦外国旅行にでかけることにした。 問題は行き先である。筆者は大の英語嫌いだから、添乗員同行のパックツアーならなんとかなるかと思ったのであるが、なんとオーロラを見たいというのである。カナダかアラスカか北欧がいいという。当然、添乗員付パックなどあるわけがない! そのとき、これを回心というのであろうか、突如、かつての北欧への孤独な憧れが甦った。かくてカタコト英語だけを頼りに、一瀉千里でオーロラを求めてのフィヨルドの旅にでかけることにした、憂愁の瞳の麗人ではなく糟糠の妻を連れて。残念ながらトルトベイト石の原産地Ivelandについては、なんの資料もないのだから、そこまでは無理。第一この時期、雪に覆われていて採集できるわけもない。そこでパックではないが、ルートと宿だけは旅行代理店でセットしてある<オーロラの旅>を利用することにした。まずはスエーデン北部のユッカスヤルビの<氷のホテル>で一泊。翌日、列車でノルウエーまで山越え、バスを乗り継いで、ロフォーテン諸島北端の港町ハシュタで一泊。翌朝クルーズ十時間で、スヴォルバー。そこで二泊したのち飛行機を乗り継いでオスロで二泊という行程である。ただし、しっかりとハンマーとルーペだけはバッグの底にひそませて、出発した。以下はその記録である。

3月15日

伊丹、成田、コペンハーゲン、ストックホルムと乗り継いで、いよいよ北極圏に入る。 スエーデン北部のキルナ空港に到着したのは深夜23時すぎ。降りたつとそこは漆黒の闇と一面の雪の白という白黒フィルムのような奇妙な世界だった。迎えのクルマに乗り込む。こんな地の果てのようなところにもちゃんと日本人旅行者がいた。カップルであるが、新婚か人目忍んでの逃避行かは定かでない。ユッカスヤルビ到着は深夜0時。

泊まりはロッジである。例のカップルは隣の棟つづきのロッジ、かすかに話し声が聞こえるが、単なる会話か睦み合いかまではわからない。筆者らは出歯亀に来たのでない、さっそく真夜中の散策にでかける。そとはシンシンというのが、擬態語でなく実感として聞こえるような静寂である。歩くとサクサクと雪の音がやけに大きく聞こえる。星空の一角がかすかに赤みを帯びているがあれがNorthernLightいわゆるオーロラであろうか?写真で見るそれとは随分印象がちがう。

さっそく売り物の「氷のホテル」に行ってみる。要は巨大なカマクラである。客室もあって、氷のベッドでトナカイの毛皮にくるんで寝るそうであるが、実際にここで一夜を明かせるとは思えない。深夜1時近くまでこの氷のラウンジで飲めるそうであるが、もう時刻は2時。まだ残ってウオッカを飲んでいたのは一組だけだった。 寒々としてきたので表にでる。星空の反対側の一角が心なしか、蒼白い。これもオーロラであろうか? ロッジに帰る。面白いのはベッド、天井が透明ガラスで、オーロラを寝ながらにして見られるという算段であるが、満天の星が望めるのみであった。

3月16日

7時に北欧名物サウナに入ったのち、朝食。9時にロッジを引き払ってタクシーで出発。キルナ駅へ。 ここからいよいよ鉄道で半島を横断し、ノルウエーに向かう。車内はがらがらである。駅を出て、しばらくすると、もうまわりは純白の原野で、建物は影も形も見えない。1時間ほどすると、山岳地帯に入る。凍り付いた広い湖、銀白色に輝く山嶺、さいはての極地に来たという実感がひしひしと湧いてくる。 そしていつのまにか分水嶺を越し、ノルウエーに入ったらしい。眼下に深い谷、と思ったが、じつはこれがフィヨルドの先端だった。空と雪と山とフィヨルドの織りなす車窓からの風景にみとれ、思わず時を忘れる。そして昼、ナルヴィクという町に到着。バスターミナルはショッピングセンターを兼ねており、結構賑わっている。ここのファストフードで昼食。これでもだいぶ暖かくなったのか、みんなびっくりするほど薄着で、見事な金髪碧眼プロポーション抜群の若い女性の臍出しルックには思わず見とれてしまう。

ここからバスで入り組んだフィヨルドに沿ってエバネス空港というところまで。ここでバスを乗り継ぎ、1時間ほどすると、一見川と見まごうような狭い水道を橋で渡る。ここからはもうノルウエー本土ではなくロフォーテン諸島のどこかなのだ。午後4時、終点ハシュタに到着。なんだか、朝から晩まで交通機関に乗っていた一日だったが、風景のみごとさにまったく退屈しなかった。 ホテルでチエックイン後、街を散策。ここハシュタは人口万を越す、ロフォーテン諸島最大の港町らしいが、人通りは少なく、気の利いたレストランも見当たらない。ぶらぶらと散策のはずが、最後はどこかに営業中のレストランはないかと探し回る羽目に。この街とホテルでは一人も日本人に出会わなかった。さすが、ここまで来る物好きは少ないか。 部屋に戻り、窓ガラス越しにオーロラいずこと探すが、まったくわからなかった。

3月17日

今日は終日クルーズ。徒歩で港に向かう。歩くこと三分で港。しかし寒風吹きすさぶ中、船は一向に入港してこない。鼻水が凍えそうだ。遅れること一時間ようやく入港してきた。予想以上の大きな船で、7階まであり、レストランもラウンジもある生まれてはじめての豪華客船である。 船はところどころの港に立ち寄りながら、狭いフィヨルド水路で隔てられた無数の島々の間を縫って走るのだが、曰くいいがたい絶景の連続と言うしかない。植生ははっきり言って貧弱で、一面真っ白なだけだし、鳥類以外には動物の姿はなく魚影すらみられない、或る意味では荒涼とした風景なのだが、それが逆に人を惹きつけるのだろうか、カメラとビデカメを持ってデッキに出るのだが、さすが北極圏、寒さのあまり10分と辛抱していられない。この繰り返しであっという間に時間が経っていく。

日本人の姿は見えないが、乗客の半分は筆者らと同じように景色にみとれている。しかし、あとの半分はほとんど無関心で本を読んだり、酒盛りをしたりしている。立ち寄る先での積荷も多く、どうやらこの航路は観光以上に、人と物の重要な航路でもあるようだ。 旅行代理店でくれたマニュアルに絶対見逃すなとあった急峻な山嶺に挟まれた最後の狭い水路を通り抜ける頃にはすでに日没近く、夕陽に照らし出された荘厳で孤独な光景は、ラグナレク(神々の黄昏)という言葉を想起させた。

そしてとっぷりと日は沈み、薄暗くなった頃、目的地スヴォルバーに到着した。寒寒とした小さな港町である。 中年の日本人婦人が出迎えにきてくれていた。姉妹でノルウエーに来て、二人ともノルウエー人の伴侶をみつけ、そのまま居着いたという。彼女が朗報と悲報を伝えてくれた。 朗報の方はここ連続三夜オーロラが見えたので、今夜も見られる可能性が高いだろうとのこと。

悲報の方は明日の日程に関すること。ここスヴォルバーはロフォーテン諸島のちょうど中央あたりだが、最南端のレイネというあたりが絶景らしい。定期バスが運行しているというので、明日はそこへ行こうと思っていたのだが、明日は日曜。なんと日曜はバスは運休だという。タクシーは日曜は25%増しの運賃を取るので、日本円にして6,7万円はかかるだろうという。2,3万円で案内してくれる人はいないかと水を向けたが、反応なし。仕方がない。明日はのんびりこの周辺で過ごすことにしよう。 案内してくれた港の外れにある二階建てのホテルはいかにもアットホームな雰囲気と言えば聞こえはいいが、要はひなびていて、地の外れに来たという感がする。しかし、こんなところまでオーロラを見にきた日本人が筆者らの他に何組かいるというのには驚いた。 夕食はロフォーテン諸島唯一の本格的な中華料理店という触れ込みのホテルのレストラン。聞くと見るとは大違いで、不味い酢豚を憮然として喰っているところに、窓越しに走り出した二人組の若い日本人女性をみかけた。ピンと来た筆者は中座して彼女たちを追う。案の定オーロラ見学の同宿の女性であった。オーロラが見えるというのだが、うすぼんやりした青白い帯が認められる程度で、これがオーロラかといささか拍子抜け。もっときれいなのが出だしたら、教えてあげますからというので、再びレストランへ。

ほどなく、息せき切って彼女たちが駆け込んできて、「早く早く、すごいですよ」と教えてくれたので、酢豚を放棄して表へ出る。こんなレストランでも結構客はいて、オーロラごときではしゃいでいる日本人に呆れ気味で、いい年をしてといささかバツが悪い。 ホテル前の海に面した広場には日本人女性4人が歓声を挙げている。なるほど、さっきとちがって、帯はより明瞭になっただけでなく、複数の帯が大きく天空にかかり、それが微妙に刻々とその形を変えていくし、微妙に色付いてもいる。彼女たちは今夜のこれは夕べのものとダンチでこれこそがオーロラと興奮することしきり。小一時間、寒さに震えながら夜空のショーを鑑賞した。

やがてオーロラは姿を消し、ホテルに戻ってロビーで冷えた身体をコーヒーで暖めながら6人で談笑。学生かどうかは知らないが、二十代前半の女性二人二組で、うち一組は昨年始めてここへきたのだが、天候不良でクルーズは遅れに遅れて景色はまったく見えず、スヴォルバーも2日間とも雨で、オーロラのオもなく、すごすごと帰ったので、今年こそはとリベンジに来たというから、そのバイタリテイに感心する。 ユッカスヤルビの薄赤いオーロラ(もどき?)の話をしたところ、すごくうらやましがられた。なんでも赤のオーロラはきわめてまれらしい。

彼女たちは筆者らとほぼ同コースで一日まえにここへ辿り着いたらしいが、ユッカスヤルビではオーロラはまったくみられず、「氷のホテル」でやけくそでウオッカをがぶのみしてきたという。 ようやくからだも暖まってきた。じゃお元気でと別れを告げ部屋に戻る。彼女たちは明日はロフォーテン諸島のさらに北にあるトロムソへ行くというのである。

3月18日

今日は朝から冬の日本海を思わせる曇天で粉雪が舞っている。オーロラは晴天しかだめだから、やはり昨夜はフロックかと早あきらめ顔。夏場はジョギングコースになっているという近くの湖まで行ってみることにする。 町外れから坂道を登りだす。坂道の頂上に来て、空はからりと晴れ上がり、湖が見えた。氷結し、真ん中だけ水面が露出しているのか水鳥がそこに多数舞い、湖のはるか向こうには真っ白な山嶺や氷壁が輝いている。 凍り付いた湖の周回道路から、雪を被っていない石がごろごろしている湖畔に降りてみる。当然、石のチエックである。花崗岩である。となると、ペグマタイト(巨晶花崗岩。巨大に成長した石英、長石、雲母の集合で、通常レンズ状、脈状)はないか。あった!石英に5センチはあろうかという大きな雲母様のものが張り付いている。ハンマーを取り出し、この人頭大の岩塊の解体にとりかかる。雲母様のものはいくつもに割れてしまったが、なかからは1センチクラスの鉛色にピカピカと光り輝く新鮮なものがいっぱいでてきて目を見張る。ルーペで観察したら雲母ではない。一見輝水鉛鉱Molybdenite[MoS2]を思わせたが、おそらくチタン鉄鉱Ilmenaite[FeTiO3]か、赤鉄鉱Hematite[Fe2O3]であろう。鉱物自体としては大したものではないだろうが、これで石友への土産ができた。

一旦ホテルに戻り、昼食後タクシーで6キロ先の隣町カベルバーグに行くことにする。なんでもそこには水族館があり、入場料はふだんは60クローネ(日本円で900円)だが、今日はなにかの記念日で1クローネだという話を聞きこみ、25%増しタクシー運賃でも割が合うかと行ってみることとしたのである。 水族館は天然の入り組んだ海岸の一角にあり、さすが特別料金とあって地元の親子連れでいっぱいである。もっとも水族館としては規模が小さく、これで平常時60クローネは高いなという気がした。しかし、なんといってもまわりの環境と眺望がすばらしい。 海岸の礫浜にでて礫の観察。片岩のようなものには小さいながらザクロ石の結晶が多数みられたし、石英の破片には角閃石様鉱物の集合体もあった。これも石友への土産にする。

帰路に着く。ちょっとは歩かないと身体がなまる。冬の雪道6キロを歩くことにした。ほうぼうから雪に輝く島々や山々を眺められ、ちょっとしたトレッキング気分である。

夕刻、スヴォルバー到着。空腹になってきたので、教えてもらった、橋で繋がっている細長い島にある高級?レストランに入った。古代の船をそのまま活用した洒落たレストランだが、メニューはノルウエー語で、理解不能。ここは鱈の本場でなかでも鱈の舌は地元でしか食べられない珍味だというので、タングタングとわめくとなんとか通じたらしい。ゼラチン質たっぷりで筆者好みのなかなか乙な味であった。 この細長い島の先端まで腹ごなしに散策。方々に鱈を干しているのが風情をそそる。とっぷり日が暮れたのでホテルに帰る。 随分、今日は雪道を歩いた。10キロは歩いたのでなかろうか。部屋に戻るとパタンキュー。それでも30分にいちどは窓から夜空をあおぐが、変化なし。

午後9時半、これで最後と夜空をあおぐと、青白い帯が見えた!ところどころは鮮やかな黄や緑に変彩している。あわてて、防寒具に身を包み、表に飛び出す。今日のオーロラは昨夜にも増して、激しくその姿と色を変え、妖しく躍動する光のカーテンの神秘さに感激ひとしおである。トロムソに行った夕べの彼女たちも見られたであろうか。

(旅の終わり)

翌日はオスロに向かったのであるが、もはや紙数も尽きたので、これで筆者のオーロラ、フィヨルド、鉱物紀行を終えることにする。ただ、オスロの地質博物館で冒頭で言った本場物のトルトベイト石にお目にかかったことだけは付け加えておこう。さすが原産地だけあって素晴らしいものであり、筆者の見つけたものはこれにくらべると本物の自動車とミニチュアカーほどの差があった。それにしても筆者の採ったチンケなものをみて、即座にトルトベイト石を疑われた故・桜井博士の慧眼にはいまさらながら驚嘆させられた。 ともあれ、憧れの北欧を旅し、本場のトルトベイト石も見られたし、曲がりなりにも鉱物採集もできたのだから、筆者もようやくこれで青春のツケを清算したというのが実感である。 ワイフも大満足した模様だが、どうやらやみつきになって、毎年一回海外旅行をーと、ねだられそうな予感がする。