環境漫才への招待

ゴミとダイオキシン

ゴミとダイオキシン(1−1)

いまダイオキシンが姦しい。どうもダイオキシン問題は流行の波があるようで、今回の騒ぎは第三次の、そして最大の波といえよう。

日本で最初にダイオキシンが問題になったのは、昭和50年代半ばであった。愛媛大のT先生がゴミ焼却炉の排煙からダイオキシンが検出されたと報告したことで、厚生省が慌てて検討をはじめ、専門家会議が暫定的な健康影響の評価指針を打ち出したのであるが、その基準が国際的にみて緩いという指摘がなされていた(こうした超微量の世界のことであるから、健康影響の評価もむつかしく、昭和50年代半ばでは国によって千倍も異なる評価指針値を打ち出していた。。筆者は当時環境庁の大気保全局にいて、直接飛び火してきたわけでないが、飛び火したときのことを考え、相当の関心を持たざるをえなかった。

筆者はそのご鹿児島県に来たので(本誌を主宰されている桑畑さんが筆者の鹿児島での上司で、ひとかたならぬお世話になった)、関心は薄れたが、いつしか騒ぎは下火になったようである。厚生省はそのごも検討をつづけ、平成2年には焼却炉についてのダイオキシン発生抑制のための技術的なガイドラインを出した。

第二次の波は時代が平成に変わって間もない頃で、こんどは排ガスでなく排水であった。やはり愛媛大のW先生が製紙工場の排水口近くの魚から高濃度のダイオキシンを検出され、それをNHKが大々的に報道したことに始まった。筆者はその頃環境庁の水質規制課長をしており、もろにこの問題に対応せざるをえない立場であった。全国の製紙工場排水の一斉調査を行い、製紙業界では自主規制基準を定めるにいたった。

筆者はその直後国立環境研究所に転勤したのであるが、ここでは研究者の要望に応えるため、大蔵省と折衝し、補正予算で目の玉の飛び出るような高価なダイオキシン分析装置を購入した。

そのごも転勤を繰り返し、退官していまの大学に来た頃から、今日の第三次ダイオキシン戦争が始まったというわけである。

そんなわけでダイオキシンとは昔から曰く因縁があるのだが、ひとことでいえばダイオキシンのことはよくわからない。なにがわからないかというと、全力を挙げてただちに取り組まないと人類の滅亡にかかわるような深刻な問題なのか、じつはそれほど大した問題ではないのか、ということがわからないのだ。(つづく)

ゴミとダイオキシン(1−2)

たしかにダイオキシンはきわめて強い毒性を有しており、なかでも2・3・7・8TCDD(註)の毒性は青酸カリの千倍に達する史上最強の毒物といわれている。発ガン性も遺伝毒性も確認された。ベトナム戦争時米軍がまいた枯葉剤で深刻な後遺症(ベトちゃんドクちゃんを見よ)が残されたが、そのなかにはダイオキシンが含まれていた。米国環境庁のマニュアルでは、未婚女性はダイオキシンの分析に従事することは避けろとあって、なぜなら死産・流産・奇形児出産等のおそれがあるというのである。日本のダイオキシンの大気中濃度は欧米の都市部のそれに比べて十倍に達するし、市民団体の調査によれば廃棄物焼却炉周辺の住民には乳幼児の死亡率が異常に高かったり、ガンの発生率が高いといわれている。魚に濃縮することが知られているが、日本は世界一魚類摂取量の多い国民である。

近年の調査によると、昔に比べると男子の精子の量は半分になっているそうだが、これには複数の内分泌攪乱物質、いわゆるエンドクリンのせいだともいわれている。ダイオキシンはその代表的な物質だそうであるが、研究はまだはじまったばかりでどんな添加になってどういう結論がでるのかよくわからない。

また、ダイオキシンとほぼ同程度の毒性を有するといわれているコプラナーPCBというダイオキシンによく似た化学物質も各地で微量検出されるにいたっており、こちらの方もこんご火を噴く可能性が高いが、発生経路が不明で、ダイオキシン以上に対応が困難といわれている。

こういうおどろおどろした話がつづくと、絶望感に襲われ、暗澹としてくるでないか。(つづく)

(註)ダイオキシンはPCDD(ポリ塩化パラジベンゾジオキシン)とPCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン)といわれる一群の物質の総称である。ベンゼン(C6H6、いわゆる亀の甲、これにも発ガン性があり、最近規制の対象とされた)がふたつ、酸素を介してつながり、Hのいくつが塩素に置換したものであるが、酸素が二個ならPCDD、一個ならPCDFになる。置換した塩素の数と位置により、200種類以上に細分されるが、それぞれごとに毒性が異なる。なかでも2・3・7・8TCDDが飛び抜けて毒性が強いといわれ、ダイオキシンの総量をいうときは2・3・7・8TCDDの毒性に換算して表すのがふつうである。塩素を含んだものの不完全燃焼時に非意図的に微量生成されてしまうといわれている。