環境漫才への招待

ミレニアムの環境政策―地球温暖化と環境省を巡る考察

―センセイ、おめでとうございます。いよいよ二十一世紀になりましたね。

―おめでとう。きみもついに二十世紀中に卒業できなかったね。

―(憤慨して)センセイが落っことしたんじゃないですか! だれのせいだと思ってるんですか!

―新年早々から怒るなよ。ところで新聞もTVも環境問題はあまりとりあげてなかったね。去年の正月は循環元年だと騒いでいたのに。

―そうだったですかね。ところで今号の話題は当然二十世紀の総括と二十一世紀の展望でしょう?

―そんな大風呂敷は広げないよ。淡々と前号以降の変化をみてみよう。十一月以降はなにか大きな出来事あったかい?

―そうですね。国内では加藤紘一の乱にワクワクしたけど不発に終わったまま、第二次森内閣が成立し、来年度政府予算案が決定。そして年明けに中央省庁再編で環境省誕生と言うところですかね。それにしても加藤紘一はみっともなかったですねえ。負けてもいいから玉砕すればまだカッコついたのに。

―まあねえ、野中にとんでもないスキャンダルでも押さえられ、玉砕戦法も封じられてしまったのかねえ。これで森内閣安泰というので、整備新幹線まで大盤振る舞いした予算編成になっちゃった。整備新幹線なんて、いまはやりの政策評価や戦略的環境アセスじゃ、どう位置づけするんかねえ。他には?

―米大統領選挙のドタバタ劇。

―米国ご自慢の民主主義の底が割れた茶番劇だったけど、ゴアが負けたのは残念だねえ。これで地球環境問題への取り組みはまた遅れるよ。少なくともゴア個人の環境問題への見識は大したもんだからねえ(※)。日本のマスコミは政策に大差なしなんて言ってるけど、ぼくは大違いだと思うよ。

  ※かれには「地球の掟」という著書がある。

―センセイは他になにか気付かれました?

―森だ加藤だ、ブッシュだゴアだで霞んじゃったけど、ハーグで行われていた気候変動枠組条約第六回締結国会議、略称COP6が結局何一つ決まらないまま終わっちゃった。このままじゃあ京都議定書(※)はどっこも批准しないまま終わっちゃうかもしれない不吉な予感がするねえ。この点に関しては日本の責任は大きいね。論点はいろいろあった。途上国と先進国の溝は埋まらなかったし、削減割り当てを達成できなかった国へのペナルテイの問題。そしていわゆる柔軟措置(※)の具体的な取り決めの問題だった。なかでも最大の対立点になったのは、森林による炭酸ガスの吸収をどう評価するかで、日米とEUが真っ向から衝突した。日米は目一杯繰り込もうとした。日本は森林吸収で約束の6%カットの相当分を稼ごうとしたし、米国にいたってはこれが認められれば事実上排出抑制はなにもしないですむからねえ。一方、EUは排出抑制の努力を削ぐものであるとして、限定的にしか認めようとはしなかった。

※ 一九九七年、京都で開かれたCOP3で辛うじて国際合意ができた。その骨子は、先進国全体で温室効果ガスの年間排出量を二〇〇八年から二〇―二年までの間で、一一九九〇年に比し五、二%(日本六%、米国七%、EU八%)削減すること。削減量の算定に当たっては直接的な削減量だけでなく、さまざまな柔軟措置を認めることにしたが、具体的な細目はCOP4以降に委ねることにした。柔軟措置には、共同開発やCDMといわれる技術・財政協力により他国の削減に寄与したときはその一定量を自国の削減量にカウントできること。排出権取引といわれる他国が求められている削減量以上の削減をなした場合、その過剰削減分を購入して、自国の削減分にカウントできること、そして森林吸収量を削減分にカウントできることなどがある。

―すいません。チンプンカンプンなんですけど。なんで森林と炭酸ガスが関係あるんですか?

―しようがないなあ、きみ卒業は二十二世紀になっちゃうぞ。仕方がない、説明してやるよ。 地球温暖化の原因は大気中の温室効果ガス、とりわけ炭酸ガス濃度が増えた(※)からだということぐらいは知ってるよね。その最大の原因は化石燃料を燃やすからだ。ものを燃やすと言うことは、炭水化物よりなる有機物を急激に酸化させて、炭酸ガスと水蒸気にするということだからね。一方、森林は大気中の炭酸ガスを炭酸同化作用で体内に取り込んで、樹木の躯体として固定させる。だから木が大きくなるということは、それだけ炭酸ガスを減らすことになる。もっとも木も成長が終わると、呼吸で出す炭酸ガスと差し引き勘定でゼロになるし、枯れて分解してしまうと、せっかく体内に固定していた炭素も再び炭酸ガスとして放出するから、森林全体としてはプラスマイナスゼロ。しかし森林を増やせば、或いは成長の止まった大木を伐採し、建材として用いる一方、跡地に苗を植えればそれが成長していく間はそれだけ大気中の炭酸ガスを減らすことになる。だから植林による炭酸ガスの吸収分を自国の排出削減量としてカウントすべきだというのが日米の主張だよね。これでわかった?

※産業革命前は二八〇ppm程度だったが、現在は三五〇ppmを超えて、なおも上昇をつづけている。

―ええ、おぼろげに。だったら日米の主張は正しいんじゃないですか。

―理屈の上ではそうなんだけど、現実には植林による炭酸ガス吸収をどの程度に見積もるかというのがむつかしいという技術的な点がひとつ。それから、科学者達の集まりであるIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告では、地球温暖化を防ぎ、炭酸ガス濃度を現状で固定させるには、現在の化石燃料使用量をただちに六割カットしなければならないという試算が出されている。COP3で決められた程度の削減じゃどうしようもないんだよね。ところが日米の主張はその程度の排出削減もしようとしないことになるから、EUや一部の途上国から猛反発を受けた。森林を保全し増やしていくのは当然なんだけど、だからといって、それを人為的な炭酸ガスの排出量削減にカウントするのはやっぱりどうかと思うね。それに地球温暖化現象そのものについても、いろいろ異論珍説があって、米国なんてのはもともとやる気がないということがはっきりしてるからね。

―へ? 異論ってどういうことですか? 大体昔に較べて東京でも大阪でも温暖化しているのは明らかじゃないですか。

―マスメデイアがそういういい加減なことをいうから困っちゃうんだよね。それはヒートアイランド現象といって地球温暖化とはほとんど関係ない、コンクリートジャングル特有の現象だよね。大体夏のクーラーなんてのは名前からして間違ってるよ。地域ヒーターっていわなくちゃあ。

―えっ、クーラーじゃなくてヒーター?

―そうだよ、室内の熱を外に出して街全体を暖めているんだもの。ま、他にもいろいろ原因はあるけどね。で、話をもとに戻して地球温暖化に関していうと、科学的に百%確実なのは、化石燃料の使用と森林の減少で大気中の炭酸ガス濃度が増え続けていることだけと言っていい。この百年間の地球温度の分析で温暖化が証明されたという確からしい報告もあるけど、それを頑固に認めない学者だっているらしいからね。そっから先は異論がいっぱいある。例えば、地球はこれからさき氷河期に向かうから温暖化と相殺されるとか、温暖化しても海面上昇はしないだろうとか、温暖化すれば農作物が豊かになっていいとかね。だから、アメリカでは依然として温暖化と温暖化による悪影響が科学的に確実に証明されるようになってから本格的に対策を行った方が費用対効果がいいなんて議論が幅を効かせているし、途上国にも削減義務を科さない限り(※)、京都議定書は批准しないって連邦議会で議決しちゃった。それも全会一致だよ、全会一致!

※途上国は先進国の責任であるとして、削減量割り当て(実際にはマイナスの場合も認めており、この場合は増加許容量という意味になる)を拒んでいる。一方米国は途上国へも定量的な義務づけをしないのは不公正であると主張している。COP3では、定量的な義務づけを行わず、定性的な努力規定を入れることで妥協した。

―センセイはどう思われるんですか?

―大半の科学者は、予測の幅はあるものの、温暖化は確実だとしているし、悪影響は必至だとしているね(※)。もちろん科学は多数決で決めるものじゃないけど、炭酸ガス濃度が人為的な原因で増加しつづけているのは確かなんだから、それをなんとか食い止めなくちゃいけないというのが当然だと思うよ。ところで、COP6で日本が際だったのは森林問題だけじゃないんだ。

※IPCCの最新報告では二十一世紀末には一度から六度の平均気温が上昇。海面上昇の他、異常気象、農業、生態系、疫病等さまざまな悪影響があると予測している。

―え? 他にもあるんですか?

―途上国が炭酸ガスを大量に排出する火力発電所じゃなくて、原子力発電所を作るのに先進国が援助した場合には、結果的には炭酸ガスの排出抑制に寄与したわけだから、援助した先進国の排出量削減分にカウントすべきだという主張をしたんだけど、これにはEUだけじゃなくて、米国からも相手にされず、世界の笑い物になったと言っていいんじゃないかな?

―日本の理屈は正しいんですか?

―一応の理屈はあるけどねえ。でも、先進国はチェルノブイリ事故や核廃棄物の処理等で、原発撤退の方向ははっきりしている。ただちに止めることは困難にしても、増設、新設の動きはぴたっととまった。そんな流れの中で、こんなことを言うんだから、政治音痴というしかないねえ。

―通産省がそういうのはわかるけど、環境庁も賛成したんですか?

―当初反対だったし、いまでも内心は消極的なんだろうけど、調整結果として政府の統一見解がそうなってしまったんだから従うしかないだろう。面白いのはこういう場合、各国との折衝は事務サイドでまず詰める。大臣なんてのは官僚に担がれた御神輿ってのが日本での常識だったんだけど、こんどは違ったらしいよ。大臣がみずからトップ交渉で獅子奮迅だったらしい。でも結果的にはねえ…。それに、これだけじゃなくて、平時でも事務方のいうことをちょっとやそっとでは納得しないらしいよ。理論家のキャリアウーマンらしいからねえ。

―いいことじゃないですか。センセイはいつも言ってましたよね、役人に担がれているだけで、自分の人気や利権や票に関係あるときだけ、口をはさむようなトップばかりだって。いまの大臣は政治家じゃないから利権にも無縁だろうし、信念でやるんだったら最高じゃないですか。

―うーん、まあそうなんだけどね。でもその信念が、<環境あっての経済>じゃなく、<経済あっての環境>じゃないかどうかが心配だよねえ。なんせ通産官僚上がりだもんなあ。せめて環境庁、いやいまは環境省か。環境省ぐらいは<環境あっての経済>だという心意気をもってほしいよねえ。ま、ぼくの心配が杞憂に終わればいいけど。

―で、温暖化対策のこんごの見通しはどうなんです。

―むつかしいね。だって、こんごとも経済成長が必要→エネルギー需要は増大→温暖化対策イコール技術対策という図式はエコ派も含めていまだ全世界共通だもんね。ただ、日本が先進国で特異なのは技術対策として原発推進を掲げ新エネルギーに消極的なところかなあ。そりゃあ環境にやさしい代替エネルギーも結構だけど、エネルギー需要そのものの抑制対策なんてマジメに考えてないもの、個別の省エネ技術ばっかりで。

―でも新年のTVや新聞では随分楽観的だったですよ。燃料電池でエネルギー革命が起きるって。

―エコ派の総帥みたいなレスターブラウンなんかもそう言ってるね。必要なエネルギーは風力発電などの再生可能エネルギーで十分賄えるし、夜間の余剰電力で海水を電気分解して、生じた水素をエネルギー源とする燃料電池で万々歳だって。

―センセイは否定的なんですか?

―再生可能エネルギーでほんとうに必要なエネルギーを賄えるかどうかが疑問だし、もしそれが可能としても、すべてが環境にやさしいなんていえないよ。炭酸ガスを出さないだけで、生態系への影響とかいろいろあるかもしれない。もちろん環境にやさしい再生可能エネルギーの開発は必要だと思うけど、技術万能信仰にはどんな落とし穴があるかもわからないからねえ。それほど巨大なエネルギーを必要としない社会システムに再編すること、必要なエネルギーはリスクを承知で消費地で可能な限り確保すべきで、僻地山村にツケを押し付けないことといったことを忘れちゃいけないと思うよ。環境にやさしいクルマをつぎつぎと開発するのもいいけれど、クルマに頼らなければ生活できないような社会システムの見直しが絶対必要だと思うよ。そうそうクルマで思い出した。いよいよ税制のグリーン化が実現した。いわゆる低公害車には税金を安く、古いクルマには税金を高くするんだそうだ。

―お、いよいよセンセイの兼ねてからの主張の一端が実現するわけですね。嬉しいでしょう。

―バカ言っちゃいけない。古いクルマに高い税金をかけて買い換えを促進するなんてとんでもない話だよ。いいかい、クルマとか家なんかは一生かけて大事に使っていく精神こそが大切なんだ。毎年、毎年より環境にやさしいエコカーに買い換えるなんてのは論外だよ。だからリデユースやリユースがいつまで経ってもお題目だけにとどまってるんだ。

―ほんと、アマノジャクなんだから。あ、そうか、センセイのはすっごく古いクルマだったですもんねえ。ま、いっぱい税金払ってください。ところで数日前環境庁が環境省に昇格したし、いわゆる中央省庁の再編がありましたね。この一連の行革はどう思われます。

―あまり意味あると思わないねえ。確かに事務次官や局長の数は減ったけど、その分は別のポストをいっぱい作ってカバーしたんじゃないの。それこそ名刺屋と引っ越し屋が儲かるだけじゃないのかねえ。組織の統廃合じゃなくて、組織の統治原理、具体的には人事システムと意思形成・決定システム、それに予算システムの見直しがなけりゃ本質的な問題はなにひとつ解決しないと思うよ。

―環境庁はどうなったんでしたっけ。

―厚生省の廃棄物関係が来た分以上には、予算や人員も増えたから、全体としてはやや強化されたということにはなるし、部局の名称や体系も変わったけど(※)、抜本的に変わったとはいいがたいねえ。

※概要は次の通り。全体の人数は一〇二〇人から一一三一人に増加。ただし、厚生省からの移籍が三八人なので純増は約七〇人。厚生省水道環境部の廃棄物部門は二十人弱増員の上「廃棄物・リサイクル部」になる。地球環境部は局に格上げされるが、水質保全局は部に格下げ。あとは名称変更が中心。また各自然保護事務所に支所を設置し、増員。いずれ独立法人化する国立環境研究所に廃棄物研究部を新設するが、主力は公衆衛生院からの移籍。なお、廃棄物・リサイクル部は循環企画課、リサイクル推進室、廃棄物環境課、浄化槽対策室、産業廃棄物、適正処理推進室の三課三室体制となる。また土壇場で次官級の「地球環境審議官」ポストが認められた。人事では移籍組プロパー技官(昭和四二年採用)とプロパー事務官一期生(昭和四七年採用)がそろって初の局長に昇任した。その差は五年である。

―じゃあ、センセイが追い出されるまえと大して変わんないですか。

―追い出されたんじゃないって言ってるだろう! きみの質問だけど、環境庁に限らず、どの役所もこの五年で、さっき言った統治原理を除けば、大きく変わってはいるよ。たとえば、いわゆる接待は激減したね。

―あったりまえじゃないですか!

―それから昔とくらべて情報公開は進んだねえ。いまやたいていの資料はインターネットで入手可能だもの。熱心な学生だったら、ぼく以上に環境庁の情報は手に入って、ぼくの出番はなくなっちゃうよ。いやあ、きみでよかったよ。

―ほっといてください! そういえば情報公開法がこの四月に施行されるんですよねえ。

―もうどの省庁もとっくに先取りしているよ。でもねえ、形式上の意志決定に至る経過は公開されるけど、真の意志決定経過は相変わらず不明のままだと思うよ。日本の場合は内々の意志決定に至る間の過程や調整・根回しの経緯は多くは水面下にあって、公文書や報告書で残すわけじゃないからねえ。それから新たな政策や答申の案の段階でパブリックコメント(※)を求めるなんてやり方も国では一般的になったねえ。それからどの省も政策評価システムを取り入れだしたし、政策評価法も来年度にはできるみたいだね。

※政策の制度設計のようなことが中心で、公共事業の箇所付けみたいな個別の案件はパブリックコメントを求めていない。したがって、あまり活発なコメントはでてきていないようで、現時点ではパフォーマンスの域をでない。

―政策評価ってだれが評価するんですか?

―そこが問題。いままでの役所の統治原理を前提にしているからねえ。自己評価の場合はやっぱりふつうは自己否定はしないだろうし、有識者による外部評価というのも、その有識者を選ぶのは自分たちだから、ほんとうの意味での政策評価はまだできてないし、こんごともむつかしいだろうね。

―じゃ、絶望的じゃないですか。

―そこを突破するのはやはり地方自治体からじゃないかと思うよ。長野に引き続いて栃木の知事選でも県民の反乱が起きた。鹿児島市長選だって、圧勝と思われた従来型の候補者が大苦戦したのもその流れかもしれない。このまえの総選挙で都市住民の反乱にあわてた自民党も、大型公共事業見直しと言いいだしたんだけど、その舌の根も乾かないうちに赤字必至の整備新幹線予算をごり押ししちゃった。もうしばらくはこの二つの流れは拮抗するんだろうねえ。でもねえ、長野や栃木のような勝手連運動による無数無名の県民の反乱はこれからもつづくと思うよ。だって、このままじゃやっていけないことは、かなりの人たちが気付いているよ、気付いてないのは既成政党だけでね。ぼくは二十一世紀の最初の十年で、先進的な地方自治体では大型公共事業についての住民投票制度ができるんじゃないかと思うよ。もちろん財源や費用負担、費用対効果、環境への影響もすべてオープンにしたうえでのね。それこそが真の政策評価じゃないかなあ。

―イヨッ、久々のセンセイの持論登場ですね。

―環境庁が年末に「廃棄物・リサイクル対策における経済的手法の活用方策の在り方に係る検討会報告書」というのを公表した。環境省になって、環境経済課なんて課も出来たし、廃棄物問題に全面的に取り組まなくちゃいけなくなるというんで、上流対策に取り組もうという意気込みも感じられるんだけど、この報告書を見る限り、どこかへっぴり腰のところもある。多分、環境省だけでは勝ち目がないから、先進的な地方自治体が先行し、政府や産業界を包囲してくれることをどこかで期待してるんじゃないかな。事実、産廃税などの検討を始めているところも出ているからねえ。どっちにしてもリサイクルはやれても本格的なリユースやリデユースの仕組み、全面的な拡大生産者責任の導入は他省庁、全産業界を敵に回すことになるから、いくら環境省になったってムリだからねえ。

―永遠に無理なんですか?

―産業界では、とっくにそうなった場合の対応の検討は始めてるし、抜け駆けするところがそのうち続出すると思うよ。一方、自治体がそろって、たとえば備品購入は一切やらず、すべてレンタル、リースで行く、オフィスゴミになる消耗品は、それを引き取ってくれるメーカー、業者からしか購入しない、なんてことを言い出しただけで、激変がはじまるかもしれない。とにかくいま地表に現れているのはごく一部だけど、じつはいろんなところで猛烈な地殻変動が起きてるんだと思うよ。

―センセイはよく言ってましたよね。戦後日本を支えてきたすべてのパラダイムが二十世紀と共に終焉するだろうって。

―じつは二十一世紀というのは、人類史のうえでもっと大きな意味があるのかもしれないとすら思ってんだ。

―えー、また大きく出ましたね。お屠蘇をこきめされたんですか?

―うるさい。つまり人類史の最初の一歩は一万年まえに起きた農業革命だよね。これで採取・狩猟生活から脱皮し、定住生活を営むようになった。つぎが二百数十年前の産業革命に端を発する、科学技術革命。これにより生産力とエネルギー利用と人口の指数関数的発達で人類は果てしなく豊かになるかに思えた。より快適に、より便利に。つまり西洋型文明の価値観が世界を覆い尽くしたかにみえた。でも二十世紀の終わりになって、それが自分の尻尾を果てしなく呑み込んでいき自滅してしまうウロボロスの蛇かもしれないということに気付いた。地球温暖化もそのひとつのあらわれだよね。そういう意味では二十一世紀は人類史の大きな転換点だと思うし、下手すれば人類自滅ということにもなりかねない。だからこれからの十年、二十年でいままでの常識からは考えられない事態がつぎつぎと生起すると思うよ。こわいけどワクワクする時代でもある。だからさっき言った組織の統治原理だけど、それだってもう風前の灯火だと思うよ。そして在ってはならない二十一世紀はいくらでも思い浮かべられるけど、在るべき二十一世紀というのはまだだれにも視えていないということ。つまり自分たちの知恵で試行錯誤しながら一歩一歩進んで行くしかないということだよ。だって循環とか共生とか持続的発展たって所詮キャッチフレーズだもの。

―なんだやっぱり最後に大風呂敷を広げたじゃないですか。

―だから、きみもナンパになんかうつつを抜かしてないで、しっかり時代を見据えることだよね。

―じつはぼくがうらやましいんでしょう。センセイはナンパできないから、へへへ。

(二〇〇一年一月十日)