環境漫才への招待

環境役人生態学・序説

H教授― うーん、ちがうなあ。多分、政策科学の一分野ということになるんだろうけど、そもそもぼくのやってることを政策科学ってのはいくらなんでもおこがましいよな。

H教授― 強いていえばやっぱり生態学だろう。

H教授― うるさいなあ、役人生態学に決ってるじゃないか。役人の論理、倫理、心理、生理から病理まで任せといてくれ。なんせ29年間役人やってきたんだからな。

H教授― キミ、そういうけどなあ、行政施策や政策を理解するためには、背景にある行政の組織・機構だとか人事だとかを理解しておかなきゃダメだよ。メデイアで取り上げることは滅多にないけどね。

H教授― もちろん、真相だけじゃなく、深層もね。まあ、興味があれば、こんど話してあげるけど、今日はもう少しまっとうな話と行こう。キミ、役人と言うとなにを思い浮かべる。

(役人は多すぎるのか)

H教授― キミ、ほんとに日本は役人が多すぎると思うの?

H教授― ばっかばかしい、多いか少ないかは役人全体の国民に対する割合だろう。いわゆる役人に関して言うならば、すべての先進諸国のなかで、極端な行革をやり話題になったニュージーランドに次いで、日本は役人が少なく、国民あたりの役人数は他の先進諸国の総じて二ないし三分の一なんだよ。日本は役人のきわめて少ない国家なんだよ。

H教授― H教授―こんなことはちょっと資料を調べればすぐわかることだよ。だからこそ、阪神大震災のときもそうだったけど、何か事件が起きるたびに、従事する人間が欧米に比べて極端に少ないといって叩かれるんだよ。

H教授― 日本に公務員が少ないのは江戸時代以来の伝統だよ。江戸の町百万人の治安を預かる正規の警官、裁判官、つまり与力はわずか二十四人だったし、幕府は教育にはまったく無関心で文部官僚なるものは一人もいなかった。でも、寺子屋が盛んで識字率は群を抜いて世界一だった。つまり大半のことは町民の自治に任せていたんだ。現在でも回覧板のようなシステムが一定程度機能しているのはその表れだし、サラリーマンの税金は天引き制度で税務職員の数は少なくすませているんだ。役人の数が少なくても、業界団体の長に根回ししておけば、あとは業界内部で適当にやってくれるという体質、じつはこうした談合体質、護送船団方式が通用してきたのもこういう日本型行政システムのおかげなんだ。

H教授― そう、それに回覧板を回してこと足りてきた旧来型の地域コミュニテイが都市化、高度成長の過程で崩壊寸前だし、かといって欧米型のNPOやボランテイアも根付かない。こんなときに、役人の数減らしをこれ以上考えることは自殺行為だとしか思えないね。

H教授― もちろん、暇そうでろくな働きもしないくせに、えらそうにしている役人がいっぱい目に付くことは事実だけど、問題は役人の使い方だよね。必要なところにはどんどん数を増やし、不要なところはどんどん減らすとともに、もっとフレキシブルな使い方を考えねばならないと思うよ。

H教授― わが政府は行革といっても、省庁や局の統合と人数減らしを省庁に一律に割り振る(第○次定数削減計画)ようなことしかしていないよね。省庁や局の数を減らすことは事務次官や局長の数を何人か減らす程度の効果しかなく、一方では弊害も多い。クリアしなければならない関門ばかり増えて、迅速な対応ができなくなるからね。 行革の真骨頂は権限の大胆な下部委譲で、その際誤った判断をしたり不正をしたリーダーや、そうしたリーダーを任命した者に即座に相応の責任をとらせる仕組みをつくるべきじゃないかな。

H教授― その原因のひとつは人事システムだと思うよ。 まずは国家公務員の人事システムからみてみよう。

(環境省の人事システムーシマの功罪)

H教授― 国家公務員は決して国家や政府に採用されるのでなく、各省庁ごとに採用されていること、同じ行一(行政職(一)俸給表適用職員、いわゆるお役人はほぼこれに該当する)であっても「T種」(旧上級職、広義のキャリア)「U種」(同中級職)「V種」(同初級職)の別があること、さらにさまざまな職種(「T種」の場合だと「法律」「経済」「土木」等多くの職種がある)があり、大きく事務官と技官に大別されることは内容を知っているよね。

H教授― うん、環境省を例にとって具体的に眺めてみよう。 建前上は環境省も大臣を頂点に単一のピラミッドを形成している。しかし人事という観点からみると、実態は大きく異なるんだ。あえていうならばピラミッド自体がいくつもの非公式な小ピラミッドから形成されている。この小ピラミッドをシマとかムラと称する。すべての省庁はこのシマの複合体といって過言ではない。

H教授― 行政職(行一)には大きく分けて法文系キャリア、レンジャー、公害系技官、事務系ノンキャリの四つのシマがある。法文系キャリアは「法律」「経済」や「行政」といったT種試験合格者。レンジャーは自然保護系技官で「造園」職というT種試験合格者が多いんだけど、最近ではU、V種も増えている。公害系技官はやや複雑で、環境庁時代はプロパー技官と称する「物理」「化学」などのT種試験合格者よりなる環境庁採用技官と、厚生省(水道環境部)1日採用でただちに環境庁に出向し、環境庁と厚生省を行ったり来たりする「土木」職T種試験合格者技官がいて、後者は「衛工」(衛生工学の略)と呼ばれて別のシマだったけど、環境省になってからは一つのシマに統合されたらしい。このうちレンジャーとノンキャリ事務官は当初は環境庁への移籍組からなり、徐々に環境庁採用組が増えてきて、ようやく大多数が環境庁採用組になった。 つまり環境庁はそうした移籍を含めた広義のプロパー職員と相当数の他省からの出向組により構成されている。

H教授― 局―課という行政上の単位組織はそれらの混成部隊からなるんだけど、技官に関して言えば自然環境局はレンジャーの牙城で、公害系技官の拠点は環境管理局と官房の廃棄物・リサイクル部という縄張りと言うか、棲み分けができている。

H教授― 事務次官以下すべてのポストはどのシマのものか不文律として決まっている。もちろん環境庁創設時はすべてのポストが出向・移籍組だったけど、そのご徐々に環境庁採用組に置き換わってきている。しかし、まだ出向組のポストは多く、次官もそうだし、局長級の半分は出向組だ。 なお、補佐や係長級でも専門性や人数の関係から、他省庁からの出向ポストも依然かなり多く見られるが、それはそれで貴重な戦力だし、プロパーにしばしば見られる独善性を中和する意味でも、環境省シンパを他省庁につくっていく意味でも、プロパーだけで構成するより、よほどいいと思うね。 また、ノンキャリ事務官は課長ポストが一つあるのみで、このポストはなお数年は移籍組だろうな。

H教授― 建前はね。でも官房長―秘書課長ラインは事実上は法文系キャリアの人事を所管するだけで、それ以外の人事や処遇は、枢要ポストを法文系キャリアが優占している見返りとして、それぞれのシマに基本的に委ねているし、天下り先の確保までシマごとの責任で行われていることが多い。つまりシマのトップがシマ内の事実上の人事権を有しているし、他省からの出向者に関しては環境庁は基本的に発言権を有していない。

H教授― 冗談じゃない、ぼく自身はシマという発想は大嫌いで、そういうことは一切考えずに人間関係を構築してきたという自負があるし、それが財産だと思っているよ。多くの役人もそうじゃないかな。

H教授― こういう強固な不文律である法文系キャリア優位のシマ・システムはどんな意味でも正当化しうる法的根拠はなにもないんだ。その弊害を昔の有名な岡光事件でみてみよう。厚生事務次官だった岡光は厚生省法文系キャリアのトップで人事権者だ。人事権を握られている法文系キャリアがどんな良心的な人間であっても、岡光の悪事を諫めることは極めて困難だし、かりに正義感に駆られて諫めても飛ばされるのがオチ、それよりはできるだけかかわりあわぬようにして、悪事が露見した岡光およびその一派が失脚してそのポストが空くのを待った方が賢明だよ。なぜなら空くポストは法文系キャリアの指定席だからだ。つまりシマ内部に自浄のためのシステムは存していない。 自浄システムを内部にビルトインする唯一の現実的な手段は、不祥事を起こした者のポストはすべからく他のシマで埋めることだと思うよ。そうすればそのシマの部下も必死に諫めるよ。 (役人のロイヤリテイとシマ・システム)

H教授― 岡光の後任は法文系キャリア以外からというと、技官は専門職だからできないという声が聞こえてくるけど、それは大きな間違い。そんなことをいえば法律職の人間は法務省か警察庁しかトップになる資格がないはずじゃないか。たかだか、大学の後半二年間で学んだ法律や技術などどうっていうことはない。事実技官の仕事もその大半はマネジメントだし、調整だよ。ぼくも造園職のはしくれだったけど、「造園」に関する専門的な知識はないに等しいし、役人生活の後半は「造園」と縁もゆかりもないところばかり歩んできたよ。それに技官でなくノンキャリ事務官だって有能だったらいいじゃないか。 Aくんじゃ、役人には専門職はいらないと?

H教授― そんなことはないよ。一般論としてはどの職種であったにしても、本人の志向と適性を踏まえ、専門性を最優先させる「専門職」と、幅広い知識とマネジメント能力を持った「総合職」に分化させること、前者は特定領域に深い見識のあるスタッフ職として、ラインを司る「総合職」に劣らない処遇をすることが必要だと思うよ。

H教授― 多くの場合はイエスであり同時にノーだね。日本の役人の生き甲斐は、現在所属している組織での評価だし、それは組織の権限や予算、人員を伸ばすことなんだ。 よくマスコミでは、環境省がダメなのは他省からの出向者が多く、かれらは出身省庁にしか目が向いてないからだといわれている。まあ、そういわれても仕方のないような連中がいるのもウソではないけれど、多くの場合は事実と異なる。出身省や自分のシマの本家組織に弓を引いてでも、現在の組織に忠誠を尽くすことが、或る意味では役人の本能だし、結果的には、そのことがそのポストを出身省や自分のシマでひきつづき維持させることにつながり、ポストの維持拡大を至上命題とする出身省庁やシマにおいても評価されることになるからだ。ま、局長級は知らないけど。

H教授― その通り。それをいかにビルトインするかだね。

(休まず遅れず働かずは事実か?)

H教授― そんなのウソに決ってるじゃないか。たしかに霞ヶ関は朝が遅いし、事実上の昼休みも長いけど、そのかわり夜はエンドレスだよ。もちろん超勤手当は打ち切りだから、まるで割に合わない。有給休暇も二十日あるものの、ほとんどが五日から十日程度しか消化していないよ。夏に連続して長期休暇をとるよう指示が来るが、出す方も本気でとらせるつもりはないんだ。事実、夏は各省予算要求の時期だから五日も十日も連続してとれるわけがない。クリスマスは大蔵(現・財務)省査定の時期だから、ぼくも霞ヶ関時代はいちどもクリスマスをじっくりと祝ったことがない。もうひとつはこういう生活を何年も何年も送っていると、休んでもどうして過ごして良いかわからなくなってしまうというのがあるよね。 問題はその仕事の中身だ。各省協議でテ・ニ・オ・ハをめぐって徹夜するとか、国会の想定問答つくりで些細なことでなんども書き直しするとか、どうでもいい仕事が多すぎるんだ。ま、それにしてもほんとうによく仕事をするよ。ヒマと思われたくない、無能と思われたくないという「恥の文化」が根底にあるからなんだろう。

H教授― その著者もそうだと思うけど、昼間ろくに仕事もしないくせに、さっさと定時に帰る輩もまれにいる。そうしても給料はちゃんとでるし、途中までは人並みに昇進するし、定額の残業手当もでる。でも、かれらはまちがいなく周囲の白眼視に耐えなければならない。こういう連中が数%のうちはいいが、一、二割を越すと、こうした日本型滅私奉公スタイルは急速に廃れると思うよ。悪貨が良貨を駆逐したということになるかどうかはわからないけど。

H教授― 事務官、技官を問わずキャリアは勤続二十五年かつ五十歳になれば、後進に道を譲るということで肩たたきが始まってたんだ。公務員は当初薄給だが、四十代半ばになり管理職になるととんとんと給料(というか手当)があがりだす。そうなれば数年後にはやめねばいけない。しかしこれは民間や財団法人、特殊法人といった公的団体のような天下り先があって始めて機能するシステムだよね。 役人が予算や権限の拡大に奔走し、法律つくりや団体つくりに励むのは、それが国家のため国民のためと思い込んでいるのは事実だけど、同時にこうした受け皿つくりに資するという側面もあることは忘れちゃいけない。でもいまじゃ、この二十五年五十歳という肩たたきシステムも風前の灯だ。環境省のようにもともと予算も権限も少ないし、民間との接点が少なく、自前の団体も脆弱なところでは、より深刻だと思うよ。出身省庁が面倒をみる次官・局長クラスの高級官僚以外は、天下りすることで給料は大幅ダウンだから、天下りという語感とはだいぶちがう。ぼくだってダウンした。いずれこのシステムも見直し必至だろうな。

(環境省の独自性・特異性)

H教授― 第一点はT種試験合格者、いわゆる広義のキャリアが異常に多い集団だということだろうな。通常行政職(行一)ではノンキャリ二十人にキャリア一人の割合らしいんだけど、環境省ではほぼ一対一。つまりキャリアといえど泥臭い仕事や地味な作業を山ほどこなさなければならないということだし、またノンキャリもキャリアと一対一で接することが多いから、そういう意味ではノンキャリとの相互理解、親近感は他省より必然的に深いと思うよ。お粗末なキャリアよりは優秀なノンキャリの方が昇進が早いという革命的な先例をつくるのに相応しい役所だと思うな。

H教授― 第二点は都道府県の環境部局との関係だね。自治体の役人が霞ヶ関に出張する場合はあらかじめアポをとり、国の課長補佐に対しては県の課長、係長に対しては課長補佐が対応、それも県の方は立ったままということが多いらしいんだけど、環境省じゃ通常アポなしで行っても椅子に座らせてくれるし、県の係長に対して環境省の課長が話することもいくらでもあるよ、まあ、この辺は個人差があるけどね。逆にいうと、環境庁は出先機関も少ないし、予算も権限も小さいからーだから県のポストもほとんど持っていないし、持ってもランクがぐっと落ちるー、県の環境部局に指示するのでなく、お願いすることが多く、そういう意味では上下意識よりも仲間意識が強いと思うよ。この点は地方分権の時代、他省庁もぜひ見習うべきじゃないかな。

H教授― もう時間だ。その話はまたいつかしよう。この役人生態学だけど、じつはなにも役所の専売特許じゃない。大なり小なり日本の企業と相通ずるところがあると思うよ。こうしたやり方が高度経済成長を可能にしたんだけど、右肩上がり成長が望めなくなった今日、限界というか制度疲労の極に達していることは否めないね。 だからといって世界のどこを見渡しても、それに代わる理想的な人事システムがあるわけじゃないことも知っておくといいよ。

(「生きてきた瀬戸内海」発刊!)

H教授― あ、そうそう。瀬戸内法30年を記念して「生きてきた瀬戸内海」という本が瀬戸内海環境保全協会から出された。いろんな関係者が面白い証言をいっぱいしている。キミ、絶対読まなきゃダメだぞ。

(2004年2月25日)