環境編 − Hキョージュの環境小論

平成15年(ワ)第120号建築禁止等請求事件に関する意見書

(はじめに)

筆者は環境行政に29年間従事し、行政における規制の変遷を見てきた。すなわち国家行政と地方行政の関係、公用制限と財産権との関係、行政と司法との関係の推移を行政内部からみてきた。

現在は大学で環境政策を論じているが、そうした経験を踏まえて、標記事件についての意見を述べる。

(仁川高台地区の街づくりと「景観利益」)

阪急仁川駅西口から西に5分も緩やかな上り坂を行くと、緑豊かな落ち着いた低層の家並になる。道の先には家々の屋根越しに甲山の緑が輝く。これが仁川高台地区である。 しかし、この落ち着いた緑豊かな住宅地のたたずまいは、決して自然発生的にできあがったわけではない。それは長い時間をかけた住民たちの暗黙の合意にもとづく、自主規制、相互規制の結果であり、それがのちに建築基準法でいう「第一種低層住居専用地域」の指定により、公的に追認されたといえよう。

近年、「環境権」とか「景観利益」ということがいわれるようになり、いくつかの判決でも認知されだした。しかし、こうした概念が生まれるはるか以前から、多くの地域共同体においては、いわば暗黙のルールとして存していた。それは地域の人が一体となって形成した居住環境の風致景観を自ら享受する権利であり、同時にそうした権利は内在的に自らの権利を自己規制する義務を負うことによって支えられていたのである。(註)

註:筆者が経験した岐阜県平湯温泉集落もその一事例であろう。筆者は昭和45年から47年にかけて、岐阜県吉城郡上宝村の平湯温泉に厚生省(46年7月からは環境庁、現・環境省)中部山岳国立公園管理員として駐在していた。

平湯温泉は集落全体が中部山岳国立公園の利用拠点として自然公園法の特別地域に指定されていた。特別地域においては、温泉旅館等の建築物の一定規模以上の新改増築に関しては厚生大臣(現・環境大臣)の許可または認可を要するとされている。 当時は許認可の具体的な基準は明定されていなかったが、建築物の高さ、建蔽率、壁面や屋根の形状・デザイン・色彩、ネオンの自粛や看板類のデザイン的な統一を行うなど、建築基準法で定められた以上の厳しい、また、独自の規制を行うことにより、かつての奥飛騨の温泉旅館集落としての風情、雰囲気を醸し出すのに成功してきた。

これは公権力の規制というより、国立公園管理員と地元住民との話し合いのなかで、自主的に形成されていった地域の街づくりルールであった。

そのご、全国一律の許可基準が法定化され、さらに細かい留意事項や配慮事項は国立公園管理計画として明文化されて、今日に至っているが、管理計画の策定は関係行政機関や住民代表との合議でなされてきたのである。

こうした地域共同体による暗黙の街づくりのルールは、かつてはいたるところであったのであるが、戦後の高度経済成長に伴う、人口の流動化による昔ながらの地域共同体自体の崩壊が進む中でどんどん失われていき、都市周辺では無秩序なスプロール化が進んだが、そうしたなかでの最低限のルールとして機能したのが、建築法規による規制であった。

しかし、そうしたなかにあってもなお、住民が自覚的に新たな地域共同体を形成しようとし、そのための手段として暗黙の合意としての街づくりのルールを形成してきたことがままあったし、仁川高台地区もそのひとつの事例であろう。 ここでは単に建築基準法の規制を遵守するのみならず、壁面線の後退と敷地内の緑化に努め、屋根等のデザイン、色彩や看板広告類も静寂で落ち着いた町並みを撹乱しないよう、自主的に抑制してきた。

このような場合、新規参入者においては建築法規の遵守は最低限のものにすぎず、それ以外にも街づくりにおいて暗黙に合意されているルールを尊重するのは当然の責務であろう。

憲法では財産権は侵してはならないとするものの、その内容は公共の福祉に適合するよう求められ(第29条)、また、国民の権利一般に関しても、権利の濫用を禁止し、公共の福祉にためにこれを利用する責任を負う(第12条)とされている。

そのため、建築基準法をはじめとする各種規制法が存したのであるが、街づくりには地域特性や住民意思が大きく影響することから、地方自治体のなかには町並保全条例や景観保全条例を設けて、そうした住民間の暗黙の合意を明文化してきた例も多いし、またそれのみならず、無秩序な景観破壊や環境破壊を防止するために、条例化によらずとも、いわゆる要綱行政のような行政指導を行ってきたこともしばしばある。

近年こうした行政指導や要綱行政と言われるものは不透明な裁量行政とされ、批判されることもままあるが、こうした行政指導は官主導の歪められた形であれ、住民意思の一定の反映の側面があることを見逃してはならない。

90年前後、冷戦構造やいわゆる55年体制の終焉、さらにはバブル崩壊から、従来の国家主導型行政が大きく変わり始めた。そして、地方分権・主権、情報公開、住民参加、環境保全の流れが生じ、今日に至っている。

街づくりにおいても、地域の特性を生かした住民主導の街づくりを目指し、単に建築基準法のみならず、都市計画法におけるマスタープラン、いわゆる「都市マス」やそれに基く「地区計画制度」がスタートしたが、これらは従来は行政指導や要綱行政で一定程度反映させてきた住民意思を、より明確な制度に乗せようとしたものといえる。 一方、長引く不況から規制緩和の流れも生じ、街づくりにおいては、容積率の緩和として

現象化した。即ち「大きな建物が建てられる」ことを意図したものであり、具体的には二度の建築基準法改正による容積率計算における地下室規制緩和とマンションの共用部分規制緩和である。

本件はこうした二つの相反する流れが交錯するなかで生じた紛争といえよう。

(本件の具体的な検討)

具体的に本件を検討してみる。

冒頭で述べたように仁川駅西口から西に進むと、やがて落ち着いた緑豊かなたたずまいの低層住宅地に至る。しかし、そのなかの道を進むと突然巨大な高層の工事中のマンションが出現し、かつて屋根や屋根合い越しに望めた甲山は全く姿を消した。三階建てと称しているが実質は五階建てというしかないもので、その壁面延長は東西40メートル、南北60メートルに達し、しかも道路からの壁面線後退距離も短く、周囲の落ち着いた低層の戸建て住宅群のなかでの異和感はあまりにも大きく、マンションに接する公道上に立つと、すさまじい威圧感、圧迫感を感じる。

被告は威圧感、圧迫感は主観的なものにしか過ぎないと主張する。確かに威圧感、圧迫感というものは主観的なものである。

しかし、ほとんどの人が威圧感、圧迫感を感じるとすれば、それは単に主観的のみならず客観的なものとなる。 たいていの人が建築物の高さと壁面線延長に比例して威圧感を覚え、道路からの壁面線後

退距離に反比例してより威圧的に感じることは実証可能である。     被告の作成したパンフレットに掲げられた完成予想の鳥瞰図を見るだけでも、そのことが容易に想像できるし、実際に現地を見分すれば、百人が百人ともそう感じるであろう。

さて、問題はふたつある。

ひとつはこうした建物が現行法規で合法的なものかどうかである。被告はこれが三階建て10メートル以下で合法的と主張する。行政サイドもこの点に関しては、容認しているようである。

しかし、これを三階建て10メートル以下だというのは、健全な市民常識からは大きな疑問が残る。

本件建物に到達する通常のルートは仁川駅からである。徒歩で最初に本件建物に遭遇する道路地点から見て人は建物高さを認識する。だとするならば、変則5階建て、高さ16メートルと見なすのが、ふつうであろう。

はじめに法ありきでなく、人のための法であることを忘れてはならない。 また、容積率も被告は法令上の基準を満たしていると主張するが、地下室の容積率緩和は当時の国会審議からして、狭隘な敷地しかない土地所有者に対する救済措置であり、これの悪用といわざるをえない。

もうひとつの問題は、仮にこの建築物が建築法規をぎりぎり遵守したものだとしても、それでもって合法的といえるかどうかである。  それが建築法規や都市計画法(マスタープラン)、宝塚市都市景観条例といった制度の趣旨、目的に叶うものといえるのだろうか。

もちろん、憲法の財産権規定からすれば、法の趣旨、目的にそぐわないものであっても、実定法上の最低限の基準を満たしていればOKと見る立場もありえようし、行政においてはむしろそれがいままでの主流だったことは否めないともいえる。

しかし、もはやそんな時代ではなくなったというのが、筆者の主張である。

ではその場合憲法における財産権規定とどう折り合いをつけるか。

筆者の考えでは、それは基本コンセプトに関してさまざまな代替案が可能かどうかにかかわってくる。

他に代替案が考えられないのであれば、やむをえないといえよう。では本件の場合はどうか。

本件マンションは、5,000平方メートルを越す、巨大な敷地面積を有している。

本件マンションは建蔽率規定の空地のかなりを駐車場として確保し、それを建物で完全に囲んだ、ロの字型をなしている。これだと前述のようにすごい威圧感を生じさせるが、これほど広大な敷地があれば、地盤高を考慮して幾つかの棟にわけるとか、駐車場を道路側に設けそこを緑化するとか、威圧感を減少させる代替案はいくつも可能だったはずである。

代替案の比較検討時点から地元協議を行い、意思形成していくのが今日の流れであり、事業利益を勘案しつつ、法の趣旨、目的に即し、周辺住民の自主規制、相互規制のなかで守られてきた暗黙のルールにもっとも相応しいものを選択すべきであろう。 少なくともそれが可能かどうかを真摯に検討し、その検討結果を周辺住民との協議の場で示す義務があったといえよう。(註)

註:そうした流れのひとつとして環境影響評価法、いわゆるアセス法やアセス条例が挙げられよう。

環境アセスメントについては1997年に法制化された。それまでのいわゆる閣議アセスと異なり、事業計画の早期の時点で国民の意見を聞くようにするとともに、評価に際してはそれまでの各種法定基準をクリアしているかどうかだけではなく、代替案の検討をはじめとする環境影響を低減させる最大限の努力をしたかどうかを評価の対象とするようにした。

このアセス法の対象事業は国が関与する大きな公共事業に限定されているが、アセス法制定以前から多くの都道府県で、閣議アセス対象事業以外の大規模な民間も含めた開発事業をも対象としたアセス条例を定めていた。アセス法制定以降は、すべての都道府県でアセス条例を定め、その評価の方法も、アセス法と同様になった。

市町村レベルでもアセス法、都道府県アセス条例の対象事業以外の事業―大きなマンションなどもそれに含まれる−を対象とするようなアセス条例を定めているところが近年では出現している。

またこうした自治体アセスでは、その評価も審査会のような第三者機関に委ねており、筆者もそうした審査会の委員をいくつか引き受けている。

さて、本件においては、その敷地面積や、被告の事業態様からして、そうしたいくつもの代替案が検討可能だったはずであるにもかかわらず、住民との協議のなかでは当初から「事業収益性が成り立たないので、他の案は一切受け入れられない」というだけで、なぜ成り立たないのかの具体的な説明がまったくないまま、一切の基本コンセプトの変更の検討を頭から拒否してきたのである。

つまり、事業利益の最大化のみを考え、その他の観点は当初から一切無視してきた利益至上主義であるといわざるをえない。

もちろん、事業利益のことも勘案しなければならないなか、どこまで他の観点からの配慮が必要かについて一義的・定量的な基準が決めがたいのは事実だし、周辺住民に受忍義務が課されるのも事実であろう。だからこそ、いくつもの代替案の検討結果を示し、話し合いすることが必要であるし、そうした話し合いを通して、コミュニテイ意識の向上が図られるのである。

この場合、もうひとつのポイントは周辺住民が被告の財産権を無視して、一切の建設反対だとか、到底事業収益性のないものへの代替を主張しているかどうかである。もし、そうならばそれはいわゆる地域エゴ、住民エゴの謗りは免れないであろう。 しかし、原告は一切の建設反対を言っているのではない。代替案の検討を求め、それが一切無視される中で、現在のコンセプトーロの字型―でいくのなら、一定のセットバックを行ってほしい等、住民たちが自ら規制してきた常識程度の配慮をしてほしいと言っているにすぎないのである。

証拠で明らかなように、本マンションはなによりもそうして守られ、形成されてきた風致景観を売り物にしたマンションである。したがって、そうした風致景観への自らの破壊をできるだけ低減するよう努めるべきであろう。しかし、本件の場合、そうした最低限の配慮をすることもなく、それでいて自らのマンションからの眺望権だけは百%確保するというのは、モラルのみならず、自然法的見地から言っても論外ではないだろうか。

さらに、原告の主張によれば、被告は零細企業を名目上の共同事業者とすることにより、その企業を用い、当時の自治会長を個人的に篭絡し、建築確認に際しては住民との協議を尽くしたかのように宝塚市に届出したとのことである。それが事実だとすれば(そして各種の状況証拠もそれを支持する)、とても社会的責任のおおきい一部上場企業のやることとは思えない。

(さいごに)

実定法上の明文化された制限さえ守っていれば(前述のように本件はそれすら市民の常識的な目でみれば守っておらず、三百代言と言われてもしかたがない)、あとはなにをしても自由という時代は終わった。

財産権にも内在的な制約があるというのが欧米では常識になってきているのであり、日本においてもこんごその動きは加速されるだろう。

街づくりにおけるいわゆる「景観利益」についても、前述のように行政的にはそうしたものを明文化し条例化しようとする動きにある。

問題は暗黙の合意としての街づくりのルールがある場合、それが実定法上は担保されていない段階で、民法上の保護に値する権利といえるかどうかである。

法学的な議論について筆者は法学者でないので、あえて言及しないが、筆者の経験に即して言えば、例えば昭和40年代の前期、各種公害法規がなお未整備で不十分ななか、司法が先導的な判決を出し、そのことにより、公害行政が飛躍的な進化を遂げた(例えば無過失責任制度の公害法規への導入)ことを想起せざるをえない。

司法が立法、行政をリードしたのである。

90年代以降、新たな環境保全の波が押し寄せているなか、時代の流れを見据えた判決が立法、行政を領導してほしいと切に願う。

すでにいわゆる国立事件の判決(東京地裁)や名古屋白壁地区の仮処分決定(名古屋地裁)などが出されていることは、こうした波の現れといえるし、同時にこうした「景観利益」が民法上の保護に値する権利であるという見方が法的に成立しうることの証左であろう。

本件においても、裁判官はぜひ実地検分して健全な市民の目でみていただいたうえで、住民主導の街づくりをバックアップするような判決を願う。

本地区においても、本件提訴を契機に、地区計画制定の動きがある。こうした基準の明文化は好ましいことであるが、明文化されたこと以外の点についての話し合いの必要性は今後も残る。それこそがコミュニテイの意味であるし、それに極端に逸脱した場合は司法救済によることもありうるというのが筆者の意見である。

「都市やまちは、住民とその子孫のためにあるのではないか。それなら国や民間事業者でなく、住民と自治体が自分たちのまちの将来像を考え、それに見合う建物をじっくり造っていけるような都市政策こそ求められているのだ、と思う」(東京大学助教授 平手小太郎 朝日新聞03・11・1)