日本の行政システムにおける「ミテイゲーション」

ア 「回避」の決定プロセス

日本の場合「回避」や大幅な「低減」は、早い段階での事前調整や行政指導の中でなされることが多く、こうした慣行の中では「回避」「低減」されたこと自体が公表されない。しかし前章でみたように、未調整のまま計画が公表された場合、「回避」「低減」への調整過程がオープンになされることがあり、多くは公表後のリアクションとしての反対運動への対応という側面を持ちながら「回避」「低減」がなされるが、この場合も正規の法手続としてでなく、形式上は計画・事業主体の自発的対応としてなされる。しかし、こうした日本型の調整や指導という行政システムに対する批判が近年目立つようになっている。

ミティゲーション概念では「回避」→「低減」→「代償」というのが優先検討順位とされているが、こうした批判を踏まえつつこの点をやや詳細に考察してみる。

環境的・生態的価値(自然度やハビタット)が相対的に低い地区をより高い地区にすることを目的にしたり、結果としてそうなってしまう開発を別にすれば、一般に開発の結果環境的・生態的価値が劣化するのは避けられない。したがって公的な開発の場合、第一段階の「回避」の検討とは公的な開発の必要性・効果、代替性の有無と喪われる環境的・生態的価値との比較考量ということに他ならない。この比較考量が容易でなく、そもそも可能かという議論はあるにせよ、それは必要性・効果の評価システムや政策決定メカニズムの透明化という問題に帰着する。そしてそれこそが今日の日本の行政システムにもっとも求められている点でもある。

それに替わって第一段階での「回避」の検討を一定程度可能にしてきたのが保護法制による保護地域の開発規制であり、環境部局との事前調整であり、反対運動や世論の動向についての予測であろう。(評価システムや政策決定メカニズムが構築され透明化されたとしても、保護地域での保護規制が不要になるというのではもちろんない。むしろ強化されてしかるべきであろう)

1.「回避」を選択するかどうか?

保護地域における開発規制を根拠とする事前調整が存在せず、ミティゲーションの優先検討順位の理念のみを根拠として、「回避」や「低減」がスムースに選択されるだろうか。ここでは、優先検討順位の模式図(図2)に沿って検討を加える。 (図2:ミティゲーションの優先検討順位)

まず、仮に第一段階での「回避」の検討の際、「回避」を選択するかどうかの判断においては、理念を別にすれば「回避」を選択するインセンティブがなにもない。優先的に検討といっても、最終的な結果だけをみれば、回避という選択も、低減という選択も、代償という選択もありうるのだから、どれを選択しても、検討さえ優先的に行っていればルール違反にはあたらないからである。

しかも、公共事業の場合は次項で述べるように事業計画を変更することに対して逆向きのインセンティブが存在している。

さらにこの段階では、回避以外の方法、すなわち低減や代償によってノーネットロスを達成できる可能性が残っている。最終的にノーネットロスさえ担保できればよいとの考えに立てば、低減や代償の可能性を検討する前に「回避」を選択することはほとんど有り得ない。

検討経緯自体が公になる可能性があるアセス法アセスの場合は、回避の選択をしなかった理由を明らかにしなければならないことになるが、この場合、「回避」という選択は不可能であったという記述がなされるであろう。そしてはじめて、なぜ回避が不可能であったかが問題とされる。

2.「回避が不可能であった理由」の検討

これらの「回避が不可能であった理由」を詳細に検討することが、実はミティゲーションの検討の中でもっとも重要な部分である。理由としてあげられたものが真に「回避できなかった理由」として支持しうるかどうかが、ミティゲーションの優先検討順位というルールを形式上だけでなく実質上も遵守しているかどうかを判断する鍵だからである。

事業者側が持ち出す「回避が不可能であった理由」として考えられるのが、経済的理由、社会的理由と事業実施上の公益上の必要性・非代替性であろう。経済的理由としては、たとえば公共事業の場合は予算の範囲という限定、社会的理由としては、市街地、優良農地やレクリエーション地を避ける必要等であるが、もっとも多いのは事業を行う公益上の必要性・非代替性であろう。

しかし、公共事業の場合はこれらの理由よりももっと大きな理由として、公共事業を推進するための計画の決定を変更することに伴う社会的コストがあげられる。様々な社会資本整備のための計画に基づいて行われる公共事業は、長い時間にわたって調整され、複数の計画が複雑に関連してもいる。これらの計画を変更するために生じる関係者間調整、計画変更、すでに投資したコストに対する責任問題等の社会的なコストは無視できない程大きいが、「回避できなかった理由」としての正当性は薄いため、これが理由とされることは公にはほとんどない。

また、本来は、それらの「理由」を支持しうるかどうかは、回避によって得られる環境保全上の公益と比較考量することによって判断するべきものである。しかし、現段階では、このような異なる公益等を比較考量する社会科学的システムは開発されていないという問題も残る。

3.「回避」を選択する場合

その他で考えられるのは、ある程度経済的な負担がかかっても、回避しなかった場合に起きる反対運動等の社会的混乱に対処するために要する様々なコストと比較すれば、回避の方が有利だと判断される場合であろう。大きな反対運動が事前に予測できる場合はこのような判断がありうる。それ以外では、上でみてきたように、第一段階の検討で「回避」が選択されることは現実上ほとんどあり得ない。

4.「低減」と「代償」の検討

その結果、「回避」の検討をそこそこに、「低減」と「代償」の検討が行われることになる。

「低減」の検討の際、「低減」が選択されるかどうか。ここでも「回避」の検討のときと同じように、(おそらく「回避」のときに比べより真剣な検討はなされるであろうが、)「代償」によってノーネットロスが達成できる可能性を残しながらの検討であるため、「回避」のときと同様に「代償」でなく「低減」を選択するインセンティブはないため、「低減」を選択せず「代償」の検討に移るであろう。

ただしこのとき、計画変更の規模は「回避」のときと比べ小さいから、計画変更に対する逆向きのインセンティブは「回避」のときと比べてその分小さい。

5.「代償」の検討と現実上の検討順位

厳密にノーネットロス原則が規範化されていれば、この段階で残っている環境への影響についてすべて代償することが可能かどうかが検討されることになる。技術的にまた社会的に可能であれば、「代償」のために要するコストが算出される。

そしてそのコストがあまりに大きいものであった場合、ここではじめて、「低減」が、ついで「回避」が、再度真剣に検討されるであろう。

上でみてきたように、ミティゲーションの優先検討順位である「回避」→「低減」→「代償」は、現実的にはこのような一方への流れとはならず、一度は「回避」から「代償」の検討まで行って、代償のコストの大きさを測ってそれが許容できないくらい大きいものであったときにはじめて低減、回避へとさかのぼって検討するということになるだろう。すなわち、(回避)→(低減)→「代償」→「低減」→「回避」ということになる。

6.ミティゲーション・バンキングの作用

ここでポイントとなるのは、「代償」のためのコストが大きすぎると判断するかどうか、である。「代償」のためのコストが大きすぎると判断してはじめて回避や低減が真剣に検討されることを考えれば、これが小さいとほとんどミティゲーションの優先検討順位は絵に描いた餅になりかねない。

ミティゲーション・バンキングが登場した背景には、ミティゲーションの制度運営を図っていくうえで、事業者の負担を軽減するという理由があった。代償に要するコストのうち、喪われる環境の未解明部分の生態学的研究や新たな自然環境を復元するための技術開発などに伴うリスクを軽減するということである。

このようにミティゲーション・バンキングは、代償のコストが「大きすぎるものとならない」ように作用する。しかし一方では、ミティゲーションの理念である優先検討順位が正常に機能するには、代償に要するある程度の「大きすぎる」コストが必要である。このことは、ミティゲーション・バンキングを導入していくとき留意しなければならない課題であろう。

7.ノーネットロス原則

もうひとつのポイントは、「代償」のための大きすぎるコストを(すなわち回避や低減の検討のインセンティブを)担保しているのがノーネットロス原則であることである。

もしノーネットロス原則がなければ、代償の検討がおろそかにされ、優先検討順位は守られるが、真剣な検討がなされずにミティゲーションが実施されることになる。その場合、目標(及び評価)のないみせかけの「代償」が開発の免罪符となる可能性が高くなるであろう。

したがって、ミティゲーションの理念を実現するには、ノーネットロス原則の規範化は最低限必要な課題であるといえる。

8.民間セクターと公共セクター

以上の点は民間セクターの開発に関してはより抑制効果として働くであろう。「低減」「代償」措置を新たに取ることによるコストアップが回避=事業断念へのインセンティブとして働くからである。公的開発の場合、このコストアップは、費用対効果の再検討による「回避」へのインセンティブとしても働くが、経済的には一層の次世代へのつけ回しを加速させることになることもありうる。